日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

"体当たりな人生 しくじるのも当たり前"というリリック

2020/07/16


昨日よく眠ったせいか、目が冴えに、さえている。
昨日の夜、外は雨が降っていて、歩いていると溝のような水たまりにがっつり落ちた。落とし穴なのかと思うぐらい深くて、膝ぐらいまで濡れた。本当にそんなに深いのか訝しがっているので、晴れた日に確かめにいこうと思う。

梅雨明けは忙しくなりそうだ。

女優のナヤ・リヴェラさんが33歳で亡くなったらしい。正直、初めてその名前を聞いた。ある人がその話をしていた。ナヤ・リヴェラさんのことを10年来の友達のように感じているとお話しされていた。


本当に悲しそうだったので、妙に心に残ってしまう。人の話、言葉のちからとは想像よりも大きい。..と、何度同じようなことを考えるのだろう。夜、オンライン上のオープンマイクに参加させていただいた、そこで聴いた話。

言葉を使用するが、そのスタイルは多種多様で面白い時間だった。
 
最近、積極的に外に働きかけている。観るだけではなくて実際に実行する。"体当たりな人生 しくじるのも当たり前"というリリック、確か漢さんの「何食わぬ顔してるならず者」の中にあったはず。自分にとって、背中を押してくれる曲。「失敗が少ないんじゃない」と15個ぐらい上の人に言われたことを思い出した。
 
日付をまたいだ、なんとなく夜の散歩をした。

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