日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

僅かな木の成長を喜べる人間であろうと思った6月の中盤の今日。

2020/06/11

 

在宅にて仕事。集中できたかどうかは微妙なライン。spotifyで色々とアルバムを聴けたからよしとする。多認証要素についてまとめる。本人であることを確認する、本人にしか知らない状況。"それをそれたらしめているものは何かという問い"と"それが実際に起こっているという現象"が頭の中で戦い始める。それを無視する。仕事が終わりデヴィッド・ボウイの映画を見ようとする。赤ん坊が泣く、パパ活動を行う。「また今度」とデヴィッド・ボウイにさようならを告げる。鉄分を取りたい気持ちが増幅し日高屋のレバニラを食べる。Tanya stephensのMVを漁る。酔ってきたせいか、やたらと身に染みる。

 

auly mosquitoを頑張ろうというここ最近の目論見、身の回りを愛そうという基本に立ち返ろうと、まずはサイトを眺める。幻想的で鬱蒼とした森をうっとりと眺めるのではなく、僅かな木の成長を喜べる人間であろうと思った6月の中盤の今日。

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