日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

他に影響を与えるとは、本人がどれだけ没頭したかどうかなのだろうか、

2020/05/03

 

今日は2回散歩した、朝と夕方。

近所の別々の公園。平日なら気に止めることのないてんとう虫をみた。公園の端の方では子どもたちが4人並んで座っていた。内2人は鉄棒へと駆けだした。両手で棒を握り何やら懸垂を始めた、その様子を少し眺めていた。音楽を聴いて歩くと心がスッと軽くなる。最近の心の荒み具合は単なる環境的要因だったのか。youtubeこち亀の作者の秋本治さんのインタビューを見た。没頭することの力をみた。プラスを積み重ねていた。とても創る人だった。
他に影響を与えるとは、本人がどれだけ没頭したかどうかなのだろうか、思わず齧ってしまうほどの果実が成る。

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好きこそものの上手なれを考えると、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の歌詞が頭に浮かぶ。

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君はたとえそれがすごく小さな事でも

何かにこったり狂ったりした事があるかい

たとえばそれがミック・ジャガーでも

アンティックの時計でも

どこかの安いバーボンのウィスキーでも

そうさなにかにこらなくてはダメだ

狂ったようにこればこるほど

君は一人の人間として

しあわせな道を歩いているだろう

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ゴロワーズを吸ったことがあるかい/かまやつひろし」より引用