心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

虚しさの定期便

2020/03/24

 

気がつけば、また心象を記すことから遠ざかっていた。もう3月も終わるのか。家の近所にも桜が咲いており、写真を撮っている人もちらほらといる。その中にまざり、撮ってみたりもする。

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家族も1人増えたが、相変わらず調子の悪い日がある。幸福に生きることにおいて、"理性"がキーワードであると考えているが、長時間飲みだすと理性的であるとは全く言えない。


「仲の良い人と飲むと楽しい」がその反動がすごい。みんなと別れる寂しさの類とは少し違う虚無。感情が目に見えないから、求めてしまうのか。相互的に理解しているとは、「相手もおおよそ同じような感覚を持っている」とこちらが勝手に確信めいたものを持つことであり、それを盲信していると危なかしい。


結構前に、ある人と虚しさについて話していると、話の流れは忘れたが「ざらざらした虚無」という発言が飛び出した。虚無に対する形容詞など、考えたこともなかった。その言葉がよく頭に思い浮かぶ。

 
その人の言うざらざらは、自分のどの虚無に当て嵌まるのだろうか。今はすこぶる安定している、2,3日前と比べて。前々回の波が大きすぎて、今回の波はそこまでだったが、「また来襲してくるのか」と考えると、正直こわい。


対抗馬として、本を読むこと、音楽を作ること、そして懸命に仕事をこなすことを用意している、曰く続く。