心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

確信を持って言葉を吐くのではなく、吐いていた言葉が自分にとっての確信であった。

2020/03/17

 

数分前のことを思い出すと、その数分前は無意識に動作をしていたと感じてしまう。今、自覚的に意識を巡らせ、記憶に印を付ける。そして数分後に振り返る。全く意識をしていない時と思い出そうとした時、つまり印をつけた時ではどう違うのだろうか。

 
確信を持って言葉を吐くのではなく、吐いていた言葉が自分にとっての確信であった。その感覚があって始めて考えられるのではないか?疑問の集大成が思想?

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