心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

ヒップホップのいなたいビートを肴に

2020/02/13

 

眠たかった。

前々日の遊びが体力を取り返しにきた。


昼、S3のパブリックアクセスについて、調べていた。ある欄をエラー表示させないためには、どのアクションが必要であるのか。ひたすらに試していた。考えることを肯定的に捉えるようになると、作業に対する集中力がどうにもこうにも。上の空、続く。


一般的に共通するような規範はあるが、"個人の体験は個人にある"などと考えていた。羨ましいと思ったりすることは、個人の体験の機会損失。嫉妬は自己体験を蔑ろにした行為なのではないのだろうか。もちろん他に無関心であるということではない。


火曜日、ヒップホップのいなたいビートを肴に赤羽で飲んでいた。そこには、水タバコがあった。綺麗な女性2人がキャッキャッしながら、多くの量の煙を口から出していた。その光景に迫力を感じ水タバコを吸ってみた。身体に取り入れる物への耐性がほとんど無いに等しい私であるが、口からブワッと煙をはきたかった。


普段、タバコも吸わないので肺が痛くなってきた。口からでる煙の量は寂しい。しばらく試していると、「水タバコの煙は肺に入れなくてもいい」と聞いた。


肺が痛かったので、やめた。それまで摂取したアルコールは飛びボッーとしていた。いえば、ダウナー状態である。


「酸欠の感じしますよね」という何気ない一言、精神的に調子の良くない時の感覚と比べた。酸素が不足することにより、気分が滅入るという仮説を立てた。
それからすぐにアルコールを摂取し、気分が高揚したので仮説はそのままにしていた。そこからは「横隔膜の構造が気になる」などと、場にそぐわない発言をしていた記憶がある。


いずれにしろ、フロアには8ビートが循環していた。

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