日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

肉体からの言葉

2020/02/10

 

こと表現においては、一度その人を通ることでしか成り得ない力がある。根本にあるところ、根を張っているのが何であるのか。並べ立てただけで格好がつくと知り、一度、落胆する。それを意識してしまったら、陳腐なもののように思えたり、高貴なようにも思えたりする。対象と自分の関係性をどうしていくのか。大げさにいえば生き方。


肉体にしみ込んだ言葉以外の威力の無さは凄い。そこらでくるくる回っている道端のコマのようで、その場限りで奮闘しても少し可愛らしくて滑稽である。言葉は想像よりも脅威的。疑問が疑問を呼ぶ状態をひたすらに続ける。

口から出たなら結果か。言葉の隙間にある言葉でいいあらわせない事象を言葉で探す行為、文学、芸術。"いいあらわせない事象"、まだ名前がつけられていない。それを拾ってくる。

 

「壁に頭をグリグリと押し付けて20秒待つこと」を、定義する言葉はない。今のところ、「壁」や「に」や「頭」を組み合わせて表現している。「壁」と「に」の間、例えとして、その隙間に何があるのか。その隙間を何と呼ぶのか。

色々ともっと良くなるように、できるように、浸かるというか、漬ける。

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