心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

扉にはりつく三重奏

2019/10/09

 

閉まったドアに3名が張り付いている。一歩後ろに下がれば、隙間が生じる。その広さはすでに空間であり、私的な領域を獲得できる。それでも3名は、閉まったドアに対してわれ先にと進もうとする。競争と呼べるほどのものでもない。「せせこましい」の縮図化に成功した模様である。


見方を変えれば、不満を口にしない以上、その図を構成する3名は"自由"と捉えられる。皮肉めいた観察者の場合は彼らを哀れむであろう。

  

目の前の状況に感想を抱くことは、個人が持ちうる感覚の"何かしら"を投影している。また、他に対する哀れみは(大きくみれば)自己における慢心でもありえる。感情は空間のそこら中にあり、周囲の人間に憑依していく。そして、思いもよらないトリオが完成する。目の前にしてもどうしようもないのである。

  

「やれ、追いつけ、追い越せ。」決して調和しない三重奏を耳にした。

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