心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「人はなぜ青空の下で飯を食うのか」

 2019/10/04


ふとテレビを観ると、そんな文言が目に入ってきた。飯を食べるというクローズドな行為(米やトマトをあらゆる方向に投げるわけではない)をひらけた空間に持ち込むことにより、真っ白なキャンパスに対する黒い点、特別な領域を確保できるのだろうか。

 

 
全体主義からの一時的解放、それは自己を自己として再認識する精神的行為に繋がりえるのか。青さはどちらかというと、悲しみを想起させる色である。しかし、無限に広がる空を伴うと、爽快さが前面に押し出される。

 


空はなぜ、詩的であるのか。建築物とどう違うというのだろうか。天然に人工。人間の支配下に置けないものに美しさは付随しているのだろうか。

人は空の下でなぜ飯をくらうのか。命題。

理由の起点を人間と考えたが、その遥か先にあるのだろうか。

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