心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

虚無.sh

2019年7月10日

 

セミの抜け殻。空。積もっていくのに、一歩も動けない。回転させるためになるべく先手を打つように、抜けのないようにしている。相反して、定期的にくる空虚感。まだ、こうして筆をすすめられているだけ。意味から意志が生まれるのか、意志から意味が生まれるのか。人間の活動の原動力とは何なのだろうか。動いているときは、そんなことを考えないが、いざ止まると。


この心象は時が経過すれば戻ると知っている。もはや、虚しさもひとつのルーチン。組み込まれている。実行されるジョブは大体、数種類。虚無.sh。そのシェルが動くだけ、OSは死んでいないのが救い。くだらないことを書く力は残されていた。週末は楽しさと引き換えにひたすら飲んでいたから、最後ダメだった。きちんと覚えていない。大人だしそういうのは良くない。


今日になり、やっと、地に足がついた。俗世に帰ってきた感覚。毎週、まるで違う箇所に行っている気がする。名前もない。捻くれた感覚に対し、今は行動で蓋を閉めている。しばらくはそうするけれど、その蓋はいつかヒビが入り割れるだろう。一体、何がしたいのだろう、すでに、動いているのに。今日は何をしていても疑問が湧く日。

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