心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

そのビートの上で、何を言うのか。荒波に飛び込む一隻の船のよう。

2019年6月25日

 

数日間、何をしていたやら、何もしていないやら。特に書き留めるほどのこともなく。2pacの伝記映画をみた。そこからhip hopしか聴いていないような気がする。90年代のチープな打ち込みは、やたらと中毒性がある。理由は分からないが、なくてはならないものになり得る理由がわかる。近しい場所にはあったけど、自らあまり聴いたことがなかった。


他のジャンルの音楽を聴いても、耳が寂しくなる。hip hopは精神性が強い音楽だと感じ、また、言葉の音楽とも思う。そのビートの上で、何を言うのか。荒波に飛び込む一隻の船のよう。リアリティにあふれる。発表するためのものではない、しごく個人的な詩を綴りたくなる。しばらくは抜けられそうにない。

 

最近、思考のつまりを少し和らげる方法をみつけた。意識を外界に向けながら考える。常にそのままでいれるように空っぽに。こういった方法は、発見しては消えていくことがすでに予見される。

 


今日は、ちょいと嬉しい情報が入った。

「作品ができた」と、なぜか自分のことより喜ばしい。

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