心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

なんとも当たり前な話を噛み締められるように。

2019年6月18日

 

今日はふとしたきっかけで下北沢にいった。

タイプの違ういいライブをふたつみると、「自分をやっている人」が、魅力的で。憧れから始まる。ただ、近づいても、その人にはなれない。何かしら、誰かしらに影響を受け歩み始める。その初動はとても美しくある。しかし、経験を積めばもっと自分を追いかけたほうが、他とも相互的に作用し良い関係が築ける。そういう人同士の会話は、ユーモアがあったり隙のない作品のような。

  

なんとも当たり前な話を噛み締められるように。経験は頭でっかちを生み、時に思考を停止させる。細かい心の動き、その記憶は時の経過とともに薄れる。書き記せるうちは書き記しておく。感じたことを細かく記す。一方で、そればかりではどうなのかと、感じる。日本はとても平和な国。それは今の自分にとって。本当にそうなのか。

 

最近はなんだか物騒なニュースが多い。

まずは知ることからと。先ほど新潟で地震。被害が少ないように。

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