日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

Angiosperms「継ぎ目」

2019年6月14日

 

無花果被子植物だ。胚珠が子房の中に収まっている。むき出しにされず、時を待ち、誰の目にも触れずに、それでも自己を見出し、複製とは違った方法で将来は種子となる。紙とペンで効力を成す確約的な契約とは違い、隙間を度々に与えられている。

 

子どもが葉に水をやる。君の感じた瞬間的な、すべてから分断されたその感性は、情景や創造力へと転換できる。その行為は位置の移動で維持するための思想にあらず。
一粒の水がぽとりと葉に落ちた。継ぎ目の見つからない定型的な表現は、ソフトウェアを意識しないシームレスなシステムのごとく。導くことと縫い付けることの違いは、浮かぶ映像に対して、外部からの刺激により動いた同一なる点を除き、その固有振動数を育む。

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