日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

言葉そのものより、その扱いに対するその人の姿勢が居座る。

2019年6月3日

 

平穏な心が瞬間的に沸点を迎えたかのような、渋谷ruby roomで様々な思考から繰り出される言葉を2時間ほど浴び続けた。

 
「像」か「響」かわからないが、しばらく残る。言葉そのものより、その扱いに対するその人の姿勢が居座る。色んな方と出会い、楽しく過ごしたのに、どうして感覚は鋭敏になるのだろう。何をすればいいのか、どうすれば。いっそのこと詭弁家にでもなれれば。


自我における比較は災難を起こす、それを艶美に表現すると細部に神は宿るとなるのか。声に出さずに堆積される妄念は、危険を孕む。思考と感情がまた離別を始めた。

でも、幸福もたくさん居残っている。

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