心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「ライブはセックスと同じ」ということを聞いたことがあるけど、その通りだと思った。

2019年5月24日

 

昨日、ライブ雑感。
ピエール瀧さんの薬物問題が世間を賑わしていましたが、音楽と高揚感はどうしても切っても切り離せない。ライブをしていて、そんなことを感じた。ステージに立つと、普段、普通に働いている感覚ではなくなる。

 

一種の陶酔である。「ライブはセックスと同じ」ということを聞いたことがあるけど、その通りだと思った。陶酔を精神でコントロールしながら、ステージに立つ人と見る人で創り上げていく、相互作用が必要になる点。

 

ライブする前にライブの印象が決まってしまっている。場の雰囲気や、演者と観衆の感性。そういう点も性行為に似ている。高揚している自分とそれを支配する自分、二つを操りライブする。やたらと精神的な行為と感じた。昨日ライブをして少し掴みかけた。

 

どういう単語で表現するのが正しいかの基準がないためか、音楽的な些細な感覚はなかなか言語化できない。それを「最高」「素敵」というひとつの言葉で集約してしまうと、味わい深さ、趣がなくなる。微細な批評や分析も立派な音楽的行為のはず。

 

ただ、コミニュケーションとしては「素敵」「最高」という言葉は甚だ便利である。決して、使わない方がいいと言っているわけではない。目的や生き方によっては、使用すべき場面が多数でてくると思う。結局はその人のスタイルというところに。

 

多種多様、十人十色。共通できる部分で認め合い、他の考えに敬意を持つ。

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