心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

孤独に勝る熱中を信じていたい。

2019年5月20日

 

今日は、月曜日だ。電車に揺られて、働きに出かけて。今日は何を学べたのだろうか。

cut,sedといったコマンドにエスケープ文字。そんなことも知らなくて。少しづつ。

ニュースメディアを携帯で見ていると、「情報から離れた方がいい」やらなんやら書いていたけど、すでにそれが情報という。読み物である限り、そういう前提を孕んでいるとは思うけど。情報は体系的な理解があって、その上で役立つ。

 

なんとなくその時、「なるほど」と思うけど、それ以上の引き出しがこちら側になく。
様々なことを伝えるメディアは興味のきっかけで、そこから取捨選択し、突き詰めるのは本人次第、そんなことをぽけっと考えた日だった。

なので、土台作りに時間を割いて。
世界を理解したいがためか、感情を落ち着かせたいためか、知る由もなく。

 

とにかく、感情的で表面的な情報に踊らされるくらいなら、サイレントマジョリティの存在を信じて普遍的に考えを巡らせていたい。また、孤独に勝る熱中を信じていたい。


取材のあれやこれやで、今日は高円寺に教祖仮面さんのライブを見にいった。脚立の上で泳がれていた。奇抜さの中に、常識的な雰囲気が漂っている。

見ている人に良い意味で隙を与えてくれる。疑問をそのままに次のアクション。観衆は、先ほどの回答も見つけられないまま、次の疑問を抱く。全く飽きない。

あとはむらをがいた。やっぱり優しかった。

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