心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

方法はちがえど、なんだか同じじゃないか。

2019年5月19日

 

246さんと取材を始めて、人は聞かれない限り、そんなに自分のことを赤裸々に語ったりしない。生の人生体験を聞けて貴重で、言い方はあれですが興味深く。

 

取材していると表現者に共通していることがなんとなくある。「理解されない」、「理解されていると思えない」。その感覚をどう埋めて行くのか、外の世界に目を向けるのか、内側に目を向けるのか。方法はちがえど、なんだか同じじゃないか。

 

普段連絡とるような間柄でなくても、共感できる人がたくさん。心優しい人が多く。故に、自分は自分のできることを精一杯しようと思える。それとは、もう片側、なんの名残か。常にある虚無感。楽しい嬉しい悲しい、感情が麻痺しているように思える。喜怒哀楽の感情が一つに統合されていくような。とかく、それぞれが熱中すれば拓かれると信じて。

 

音楽を聴こう。創ろう。

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