日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

ひたすら繰り返し収斂させていく作業。

2019年5月14日

 

トマトを食べたら口内炎が治るという、何の根拠もない説をある時、唱えていた。中の汁が該当箇所に触れるとしみて、痛い。その痛みこそが治癒への助けと思い込んでいた。実際に治りが早いような感覚はあった。


トマトがさも自分を味方してくれているような心持にさえなった。口内炎になっても、トマトが心に浮かぶと、我慢ができた。いつしか、口内炎とトマトは切っても切り離せない関係になっていた。

 

今、spotify のプレイリストで昭和歌謡をよく聞いている。調性やコード感を身体に馴染ませるために。頭の中に入れ込むことを意識している。これは感覚の問題が大きく、思い込んでみたり、この感じは違うと思ってみたり。

 

意識や思い込みはそういった感覚的な練習に作用する。それをひたすら繰り返し収斂させていく作業。改めてポップスを聴いていると、情緒的でいい。

そんな中、たまたま聴いたふきのとうさん。

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男性の低いパートのハモリは、なぜこうも感動するのか。

ハンバートハンバートさんを聴いた時も同様の感覚になった。

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そういえば、自分のアルバムの発注が完了した。光。

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