日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

根拠のない直感は帆の向く先を変えてくれるのか

 2019年5月9日

 

GWが明けて、「働く」ことがまた生活に加わった。週に5日は完全に多いけど、リズムができている。人間は制約がないとやたらに怠惰になってしまう。行動はしていたが、逆に休まらない、平坦な感じがした。

 

そう思えば、抑制されるストレスが喜びに変換されているのだろうか。感情のエネルギー量なるものが存在するように思う。それの方向が悲しみに向いているのか、喜びに向いているのか。友人の堀口くんから、やたらとエネルギーの話を聞いたせいか、その感情的なエネルギーも別のエネルギーに変換できないかと考えたりする。

 

感情的なエネルギーには、何か性質がついているのだろうか。パソコンとかと触れ合っていると、やたらと仮想的な定義や概念に出会う。感情の流れもそういったものとシンクロしそうなものだ。

 

突然、変な言い方だが、人生に「暇」を感じだした。何にも傾倒できない主義のせいであるのだろうか。様々な側面を考察すると、反例ばかりが思い浮かぶ。あえていうならば懐疑主義者か。新しい視点といえば聞こえは良く、粗探しといえば聞こえが悪い。もはや、言葉の綾で成り立っているのだろうか。

 

とか思っていたけど、普通に傾倒できそうなものがあった。ジャズ。

マイルスさんの電気時代のアルバムを聴いて、やたらとくらってしまい。

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この動画をみてさらに面喰い。全て音に詰められるんだと思えるような、美しい。

これは人生まるごとつっこめそう。

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数年ぶりに「ビビっ」と降りてきたのは素直に嬉しいものです。

根拠のない直感は帆の向く先を変えてくれるのか。