心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

人間が人間を伝える。

主張に嘘はないが、単語の性質を使い、つらつらと書いていく行為において、心はあまり削れない。事実に寄せて事実を書くというのは、やはり恐ろしい。蓋をしていたのに開けてしまった感。本当にそうだったのか、想像が妄想を塗り替えただけなのか。

 

嗚呼、没頭したい。浄化行為。

文字を浴びていたのも結局、妄念からの逃走。

 

制作を含めてというのもあるが、一日家にいるといつも感情がこうなる。嫁が一日出かけていると保てないとは、なんと情けのない。機微や心。しかし、心象記、そういった心を文字に変換する。

 

音と言葉のコンピレーションアルバム的なのを創ろうと思い立ち、色々とオファーさせていただいている。その中で、少し、思い出し書いた。過去の刹那的な心情かもしれない、それを作品に近づけていくのは、ある種の執着と思ったり。人間が人間を伝える。そんな感じになれば。

 

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夢は常にそこに居残り、おどけた道を歩み始めた。
ピエロとしても二流で半端な僕は意識の渦に溺れた。

 

やがて、二人以上での会話では手が震えるようになった。
社会的な自己と主体的な自己の不一致が、景色を変えた。

 

ある日、言動付自動車に乗っていた。
東成付近の交差点の信号には色がなかった。その時、危うい状況と理解した。

 

また、ある日、一日中、天井を眺めていた。
正確にはそこから動くことができなかった。

 

心は一体、何であふれたのだろうか。
すべてが耳に入らず、朝も夜もなく、善も悪もなく、いた。

 

僕はいったい誰に話かけているのだろう。
会話というのは一人でも成立すると知った。

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