日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

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想越された偶像は等分にわかれる。想像はいつも斜線が引かれていて、粒子のような点は無い。頭で恣意的に創り上げているわけではなく、常に主観が支配する私の空間に、浮かぶ事象として滞在している。生まれた時から備わっている。

 

それは、手のようであり、耳のようである。

 

装いを全面に押し出した作品は、初見の驚愕を超えることが困難であると仮定する。
滴る水が蓄積し出来上がる氷柱、その美しさは過程に裏打ちされている。探るという行為、つまり、鑑賞者が一助している。

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