日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

それでも、雲隠れできず貴方だけはそこにいる。

やたらに新書に手を出す君は、何かを見過ごしている。近似値的なフィルタで濾過し、指と指を合わせさすることも忘れている。幾ばくか理知的であろうと、雌雄を決する時には何の役にも立たない。知らぬが仏とただひとつの作品にも向き合わず、狂気を平らにし等間隔に並べ社会に溶け込ませる。

 

常に居座るシコリのようなものが、文章を書かせる。それ以外の時の言葉はどこか上滑りし、帳尻を合わせる。何に対してかも定まらず非常に悔しく、どの目も気になる。そこに自らの価値における大成はないと知る。私は六合目に差し掛かり、周囲の景色を確かめる。望んだものはすでに掴み切り、これ以上の目的もない。

 

大衆はいつも無意識に身体を支配され途方に暮れる。

それでも、雲隠れできず貴方だけはそこにいる。

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