心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

現実とは、内的な心象の拡張である可能性

同化

 

ふと、外の世界(現実)がないものと思えた。もちろん視覚や聴覚を有しているが、それらは内的な心象が拡張されて得た偶然の産物のような気がした。

 

”夢の中を生きる”と言いますが、その類のふわふわしたものではなく、こうはっきりと自分の存在と空間が一致した心持ちになった。深酒で記憶がなくて気がつけば家に帰っている、経験で、その行動はより自然に行える。そういった主体性の喪失に近いのか。緊張感の欠落により、「生きている」と認識する回数が減ったためか。

  

あまり慣れない感覚に少し驚いた。
同化している感覚、思い出せば本を読んでいる時に文字と同化している、ような気がする、と感じたこともあった。一致、同化、どういった言葉が正しいのか、どう表現すればわからないけど、その瞬間は確かにあるような感じがする。

 

話は飛びますが、言葉の習得は思考を変えていくのか、と疑問に思い最近は単語や熟語をより意識しています。変容する感覚。擬態。化身。ただ、ただ、単語を羅列した先の景色を見たいと思って。

 

耳にも刺激を与えて。

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