日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

BARペガサスでのライブ終了。感謝です。

ライブ

 

昨日は完全にスタイルウォーズで、ジャンル入り乱れてのライブ合戦。みんなクオリティ高い。さすが、観察の鬼にしむさんがお呼びしただけあります。いいライブやったなあと思った人の名前をあげればきりもなく、いい時間として刻まれました。古郡くんの強靭な意志、成し遂げる男だなと感じた。未来がもっと面白くなりそうと強く感じられてよかった。

自身のことですが、ライブ後の感想から客観的に鍛えられそうです。

ステージ上で歌っているときは自分の姿が見えないから「なるほど」と。ライブの仕方もやっと見えてきたか?と思う節もあったりするときに、楽屋にいた健三さんが一言、「小箱のライブで歌うってことはさ、お客さんはその人の人生を見にきているんだよね、という話を聞いたんだよね」、ライブ前に背中押されました。

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ちょうど諦めることでしか得られないものがあると最近考えがちの私にとって、ありがたきお言葉。普段、吐き出せないことをライブで凝縮できる。個人のライブとはそういう機会でありたいです。やはり、器用貧乏は本質が見えにくく、対峙する側がどういう前提を通して見るのかがわからない場合が多い。

 

交感神経をあまり働かせすぎると、体に良くないですが、ライブ前に聞いていたこの曲。いつか、関根さんがカラオケで歌っていた、そのフレーズ、そんな日になった。

 

「生きててよかった、生きててよかった、そんな夜を探している」

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そして、帰り道の背中たち。

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