日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

借り物ゆえの謙虚さ、生まれてきたなどとは傲慢か

会得

 

借り物ゆえの謙虚さ、生まれてきたなどとは傲慢。
上記は言葉の綾か。ボンスターさんのイベントにいったからか、うむ、言葉の性質として収まる範疇。あまり断定せずに。

 

感情を含む断定の連続は社会的信用を失う可能性を高める。この人はこういう人!という幻想は、ある側面において信用に繋がる。人々は想像を担保するのだから。皮肉ではなく、そうしなければ生活を送れないかと。

 

裏切らないキャラクターの安心感。
寄りかかれるという事実に形はわからずとも謝礼をしている。

いやはや、そんなことより、ボンスターさんの音楽力、その体力に感服。出すぎた人は逆に商業と馴染むと思うのは持論か。追求する音楽家が、60分に一回、愛想笑いさえすれば十分で、もっと、多くの人に伝わると思う。

 

繊細な感性を拾うパトロン。ああ、望みたいもの。

本人が望んでいないパターンは、ダメだけど、そういうものを伝えていくのが、auly mosquitoの社会的役割な気も。理由はあと乗せサクサクだけど、そう思う。


ふらっといかれた音楽家に会いにいった。漲りました。

 

明日、もらった15分、何を伝う。
と、反面、音楽はリラックスしてするもの。
肩に力が入っていては等身大は伝わらず。ライブ。

今日はいい音楽を探しにいった結果、気がつけば大田区在住の国際派の人たちと飲みながら、かっぱえびせんを食べていました。

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