日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

一節 「歪んだチリは当人の知らぬ間に堆積し、その瓶に入りきらないほどになる」

一節

 

哲夫は知った。自由業と謳い、街を転々とするその人生を、悔いも用いず、飄々と過ごすはずだった。以前は工場に勤務し、押し出されるトコロテンをひたすら眺めていた。茹でられる前のテングサと自身の心境を照らし合わせるほど、妙な心持ちになったこともあった。


工場内では数人の友達も出来た。人に可愛がられる愛嬌があった哲夫は、取り繕った会話を得意とした。

 

「哲夫ちゃん、おたおたしてらんないよ。納品、今日までだからね」
「哲夫、こっちこっち、それ先月分の記録だろ。またうとうとしやがって」

 

お話好きの友達は自らを省みる術を持たず、ただ転嫁することにより夜を過ごしている。過去を思う分、幾らか、哲夫の方が世渡り上手である。

 

哲夫の友は、オノマトペの使用権がさも当たり前に、自らに帰属すると考えている。淘汰やフィルターとは程遠い。それは、弁のない一方通行の循環器であり、常に新鮮なサイクルやループを成している。

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歪んだチリは当人の知らぬ間に堆積し、その瓶に入りきらないほどになる。

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哲夫は仕事を辞めた。きっかけなどは特になく、あえて言うならば、週に五日、勤務するに耐えられなくなったからだ。幼い頃からその場しのぎな性質は確かにあった。

その小さな火種はやがて、自らで消せないほどに燃え上がる。

幸福の形。降伏を模倣し、また、知恵を挿入することか。身勝手な省みは縦横無尽に心を喰らいつくばかり。近づけば近づくほど遠ざかる。
まるで真実みたいに、そんなよくある話だ。

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