日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

みえる電話・パラスポーツにみる性質を活かす行為

発想

 

「みえる電話」というものをたまたまみかけました。相手が話せば、画面に話した文字が出てくる。つまり、耳が聞こえない方でも電話ができるというサービス。「音声を文字に起こせること」により実現しているが、技術が役に立つ、そのまさに一つの例で、このニュースを見てすっかり関心していた。

k-tai.watch.impress.co.jp

 

さらに、健常者がパラスポーツを体験するという記事をみかけた。これはスポーツとしてもとても魅力があると思う。視覚か聴覚か、どの部分をふさぐのかはわからないが、一時的にであれ、普段の感覚が通用しない瞬間を体験するとはこの上なく貴重だと。
www.sankei.com

使える感覚がある限り、人間は使用する。また、「ある・存在する」は永続的で、生涯を通じ保証されていると思い込む。思い込むこと自体は何も悪いことではなく、ある種の思い込みがなければ、継続もできない。

 

性質そのものではなく、その性質を活かす行為がまさに"知恵"である。より多くの人を救いたければ、逆転の発想を持つことは前提条件ではないかと。使命などと大それたことでもなく。当たり前を当たり前と感じる心があれば、逆転の発想は生まれ繋がっていく。線は未だ見えずともその先で交わっている。

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