日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

『葡-pao-』 コッペパンを食べる。

嫁と鍋

 

2019 1/10 嫁と飲みにいく。全然、もつ鍋がこない。

冷えたハイボール、鍋までのお供をこいつにする。

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もつ鍋が到着、薄味で気に入った。(終わりかけのもつ鍋)

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葡-pao-


ビニル袋から朝に買っておいたコッペパンを取り出す。大きく口を開けガブリと噛みつく。芳醇な香りが瞬く間に広がる。黒縁メガネで下唇の出た通りすがりの男に一瞥される。しかし、酵母が特徴の少ない円形や楕円形であると思えば、忍べるもの。

 

早くもふた口目。私はパンにかぶりつく。訪れる幸福を逃したくはないものだ。
「視線が喜びを殺すなどとは、なんたる悲惨。私はパンを食べているのだよ」

 

一切れのパンに狂酔する。

 

「周囲との調和に幸福を感じるなど、わざとらしい。私は美味しいパンを食べるのだよ」自らに言い聞かし、さらに一口。

 

白い街灯は舗装された道路を照らしている。あちらこちらにそれら(街灯)は存在する。その場にハイヒールを履いた仕事帰りの女性が通りかかり、カツカツと靴音を鳴らす。残響はその音のみとなる。

 

静けさと深淵な趣を同様のものと錯覚した私は、すっかりパンをかじることをやめてしまった。

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