日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

どの職種、どの場所、どの選択、とどのつまり、一生懸命、生きるに尽きる

 その一日

 

今日は、中目黒、浅草をフラフラしていた。
そこで、出会った空港の警備の人に興味深い話を聞いた。

大統領の警備について。10m置きに監視を置くそう。1ヶ月前から、大統領がきたときの予行練習をするそうで、何十社と会社が動くそう。(ど、どれだけのお金が動いてんねやろ、)

 

警備にも資格というものがあるそうな。権力と危険は常に隣り合わせという感想を抱いたり。相当の正義感がないと、指導者にはなれないような。善と悪、すいもあまいも、中庸、分別の鬼にならないと。改めて、力を持つということは、背負うものが大きくなるものであると。

身の回りに起こっている出来事以外は、全然知り得ぬのだなと。視野を広く、かつ目の前に夢中になる。一見、矛盾しているようだがその感覚を両立させる。

一貫した自己はなく、感覚は共存させられる。思考と無心。

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そんなこんなで、浅草へと。
いろいろあるけど、やっぱり、明るくいきたい。浅草は基本的にそういう場所で、力をもらえる。ヒトの関わりの根源的な力を感じられます。毎日、毎日、スイッチを入れてみると、憧れた人の表面しか見れていなかったように感じる。行動の後に道ができる。地味なことであろうと、繊細にひたむきに続けること。

 

どの職種、どの場所、どの選択、とどのつまり、一生懸命、生きるに尽きる。
親父の酔った時の言葉が今更響く。