独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「高円寺」  間に挟まれた私は、注文した塩のぼんじりを頬張る

高円寺

 

チャイムが鳴りドアを開けると、頼んでいた辛ラーメン1ケースが届く。しばらくはこれで食い繋いでいけそうだ。リビングまで運び、早速ひと玉、食する。卵を絡めればとろみが増し、満足感を得られる。後29袋。

 

今日はせっかくの休暇で、高円寺へと向かう。駅から降りると、プロレスが開催されていて、人々の目はマットの上に釘付けだ。群衆のその間を通り、友の唄を聴きにいく。綺麗とは云えないが、味のある服装の方が多くいた。それは非常に街に馴染んでいて少し羨ましかったりもする。そんな街に、彼の声が響く。

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長い付き合いの友の舞台を見ていると、背中を押したくなるような気持ちにかられる、と同時に少しハラハラした気持ちとなる。付き合いとは不思議で温かいものですね。

 

十月も終盤であり、本格的な寒さが近づきだすはず。そんなことを微塵も感じさせず、エンターテイメントで色づいた高円寺は賑やかだった。つきだしとして出てきたひじきにレモンサワー、もうすでに役者は揃いきっていたようだ。

 

真横の席のカップルは次の計画を練り、常連の雰囲気を醸すおじさんはお猪口に手を伸ばす。間に挟まれた私は、注文した塩のぼんじりを頬張る。そして、帰りにギター屋さんに寄り、弦を購入した。張り替えよう。

 

因果関係など考えようとする間もなく、人は移る。

眠りにつく瞬間に安堵し再び目を開ける。現実や世界の構造とはどのようなものか。すべては脳が創り出した世界なのか。全能ではいられないからこそ、日々は充実する。

モノに執着するのか、役割といった形に目を向けるのか。あらら、価値観はどこ吹く風と。いつも、知らん顔をする。

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