独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

あるアイデアを教えてもらって・・

あるアイデア

 

ある人が言っていて、「なるほどなあ」と思うことがあった。

人は満足を与えられすぎる(=今回の場合、生まれたときから資産がすごいある)と思考が停止し破たんするという理論に基づき、相続をすべて国に返して(どう使うかの問題はとりあえず置いといて・・)、一世代で勝負する。

  

確かに、平等が増しそうなのだがどうなのだろうか。そうすると、個人が投資できるお金が減り、逆に社会が発展しないのかな。あと、「現世において宵越しの金は持たぬ」という破滅思想を招きそうな気もする。

だれの感覚でどういったものを幸福の対象にするのか。貧しい人の数を減らすのか、一番収入が平均的な人たちらへんに重きをおくのか。そういうのってどうやって決めるんだろう。素朴な疑問。

 

決めるというか、さまざまな力関係により、結果がそうなっていたという感覚なのだろうか。実際にその中に居ないとわからないことって多々あるものだし。だれがだれのためにだれをどうして、だれを・・、考えだすと切りがない。

 

十人十色、千差万別、人間が共通する点とはいったいなんなのだろうか。

その共通項が「モラル」や「社会的なルール」、「みんなが住みやすいように」という感覚になるのか。いやはや、疑問が湧く。疑問がギモンを呼んで、迷いの都入り。ああ、もっと世の中を知りたいし、本当のこと、人間のことを知りたい。純粋なギモンだらけ。

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