独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

実り多き、箱根ノ旅。

箱根ノ旅


箱根といえば温泉だ!という、間違ってはいないけど、ど直結なイメージしか持っておりませんでした。今回のちょっとした旅で少しは知れました。

源泉という自然が作り出したものに対して、人間が工夫を凝らし恩恵を授かる。人間と自然、生かし合っていると感じた。互いに傲慢になることなしに、共存を選んだ土地で素敵。

また、箱根には博物館的なのや美術館的なのが多くあった。その中で、火山灰の結晶が顕微鏡で覗ける場所があった。火山灰を普段見かけることはないけど、結晶があんなに美しいものとは。
火山灰に限らず、その辺りに生えている木や草花を、人は見ているようで見ていないのではないか。

例えば、住み慣れた家の中でほふく前進をしてみると周囲の景色は変わる。視点の切り替え。そういった感じで葉などを間近で見てみると、いつもと違う見え方。見え方というものは改めて、人間目線であり、目の場所に依存している。

 

間近でみる、遠巻きでみる。
そういった意味でカメラというのは便利で、手を動かせばズームになったりワイドになったりする。顔をめっちゃ葉に近づけなくても、カメラがその役割を果たしてくれる。

 

その気づきは私を加速させ、気がつけば葉の写真ばかり撮っていた。
自然に生えている葉なのに、切り取り方によっては、とても美しい。草や花は雑然と生えているようで、模様ということを考える時の根本的なものなのかもしれない。
箱根が教えてくれた人間と自然のバランス、撮影者(私)と被写体(葉)もそういう関係でありたい。

 

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そして・・「葉」の写真集出したいと思った。

 

と、まあ、張り切って、論じてますが、、、なにより、嫁ちゃん、ありがとう!^^

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