日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

美しさを美しいと規定しているもの

美しさとは

 

写真の構図や音楽のコード進行、美しいものには一定のパターン、定石が存在する。心を動かすその美しさ。いやはや、「美しい」というのはどういう基準なんだろうか。

もっというと、美しいものを美しいと規定しているものは何か、心が動くかどうかなのだろうか。数値で表現できないため、いきなりとても曖昧になった。

 

美しいとは理想や憧れ。

個人個人が持つ「理想」を美しいとすると、その理想に近いものを美しいとし、遠いものを美しくないとする。それは絶対的な価値観である。「理想」というと、現在の自分自身がそういう状態ではないとされる。つまり、理想を美しいとする前提が正とすれば、人は今の自分にないものを美しく感じる傾向にあると。

  

美しいとはフェチ。

嫉妬に変換される可能性はあれど、美しいと感じるものに嫌悪感を抱く人はさすがにいないと。美しいものは、その人自身の嗜好である。あまり、万人に共感されないことだとしても、その人にとっての快感や至福。立派な美しさであるように思う。

 

美しいとは気分。

 

その時の気分によって、美しいと感じたりそう感じなかったりするのだから不思議。倒錯により感じる美しさもあったり、酩酊しているゆえに感動したり。静かな海辺で聴く、情緒的な音楽。心境や状況によっても変わってくる。

 

全てを網羅している、普遍的な美しさというのは、有り得ないのか。

定義できないのに、考えを広げて、曖昧にするなどとは、野暮ったくもある。刹那的な考えを繋ぎ巡らせたり、悩ましいことに思惟したりできるともいえる。形のない思考が創作を通して美しいものになるように。

 

・・皆様にとって、美しいとはいったい何なのでしょうか!!

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