本を読んでは、まどろむ一日。
小説
今日は、一日家にいて、字を追いかけては微睡んだ。
久しぶりに小説を読んだ。坂口安吾の小説を読んだのは、何気に初めてだった。基本的に退廃とした雰囲気が漂っている。こういった倦怠はえらく魅力的に思える。現実とは別であるのは承知の上だが、小説、いわんや言葉の影響力というのは凄まじい。感情のどの部分に刺さってくるのか。また、外国語を翻訳したような文体もそのデカダンス的な匂いにマッチしている。芸術の生々しさというか、執着にも思える鋭さに惹かれる。
「真実の価値あるものを生むためには自己犠牲が必ず必要」という一文があった。
その道に行く人は、その道の技術やノウハウを知る。それを提供するのに、いちいちその技術に驚いてるわけにもいかない。日常の練習に喜びはあれど、感動はないのではないか。その感動は見る人や聴く人に与えられるものであり。
心に残る一文だった。
おじいちゃんの家から送られてきた、小川洋子さんのエッセイも読んだ。
「物語を書きたいわけではなく、頭の想像を描く」というようなことが書かれていた。
飼い犬との日常であったり、好きなタイガースの話だったり、エッセイはほんわかとしていた。エッセイを読んだ限りではあるが、日常は平穏そう。想像というものであの世界観を作れるのか、とぼけっと思いながら、眠りこけていた。
言葉にしにくい表現を正確無比ではない「言葉」であらわし、目に見えず名前も定義もない感覚を言葉に落とし込む。作家とは、矛盾を突き破るようなことをやってのけているのだなあと。
行動や人生に理想や意味を求める生き物なれど、自身の場合、行為として、「音楽を聴く」と「本を読む」のが性に合っているみたい。