独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

整理つかぬ

整理つかぬ

 

受け皿が脆いのか、意識がずっと開いているのか。なんでもないひとことも突き刺さる。自由な時間を取り戻されているのか、どの時間と差し引きされているのか、理解や思考では遠く及ばない箇所が存在しているのか。

   

どのように自らを動かしているのか、緊張感はひたすら疑問を呼ぶ。無論、演じることもないのに、「何をそんなに」と面白がる存在もいる。少しの欲は人に含まれている、前提みたいなもの。と、誰かに指をさそうとしたり。その指摘と真っ当な真実の境目を誰が正確に言い当てられるのか。

 

代えがきかない。場をコントロールしようなどという邪な考えは、縛られていることに直結する。そこの底に落とした処世術のような定義と再び目が合う。

 

バランスがおかしいのか。吾へ返さず他者へもう少し比重を置くのか。感覚のバランスを。心中の懊悩は至って身勝手とも。鋭さゆえに疲弊を得るなら、フラットに鈍感を夢見し。今日は代え難いという、言葉の意味をなぞらえて。


想像に意味をつけて、それを上から想像で塗り替えてはひとつの概念と化す行為。次の想像への可能性を残すゆえに、新しくも整頓されず。

 

まだなきもの。すでにあるもの。生まれ、積み重ね。たまたま聴こえてきた、ひとつ別の、打楽器の音と民謡の節、心を理解したその唄にほっと弛む。

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