独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

オトノハナシ、オトノコウサツ、週末の振り返りによる。

週末、振り返り

 

金曜日はロフトバーにお邪魔して、DJ 紙ヒコーキ、しました。紙ヒコーキらしくゆらゆらと浮遊した音を前半に持って行きました。大きな音で、曲を聴くのは楽しく、セレクトしている、感覚もたまらず、プレイリストに愛着わきます。
(土曜日の紙ヒコーキをプチ公開!)

 

笹谷創さん(@sasastagram)がシェアした投稿 -


好きなものを羅列するという、得てして、ビギナーではございますが、継続は力なりと、ご贔屓目にお守りいただければ.. 

手間はかかるけど、自分の手を加えたものが、愛しいのは人間の性。loft barにいたみなさまも、個性的で楽しかった。「遊んで楽しかった」というのも、小学生みたいなので、ここは写真で振り返ろう!

 (乾杯の瞬間)

f:id:sasaworks1990:20180806223706j:plain

(出てきた時の空)

f:id:sasaworks1990:20180806223357j:plain

(完全に朝です)

f:id:sasaworks1990:20180806223414j:plain

 

 

音楽を考察

 

そういえば、高校生の時、小遣いをはたいて買ったターンテーブルを次の日曜日に、我が部屋に取り寄せます。レコードを買い出したので、楽しみで、楽しみで。あら。

 

また、自分のオケでこの人と曲やりたいな、と思った方にいろいろとお声をかけさせていただいたり、EARで開催している「have a good time」で、レギュラーで回していただいているLドラゴンさんのMIXのリリースのお話だったり、自分のアルバムリリースだったり、音楽的に何かと楽しみなことが増えている日々です。

 

感情や人間的プロセスを抜きにして、「けっきょく、綺麗なコードの上で綺麗な音色で、綺麗なメロディを乗せればいい音楽じゃないか」という極論が心のうちに少しありますが、最近、ウワモノより下地が気になります。ドラムです、そこに着目して聴いていると、だんだんとクセになるといいますか、いわゆるリズムに自分が捉えてた何倍も可能性がある気がして。

音程を縦軸、リズム(時間)を横軸(楽譜などはそうなっていますね)、なんと当たり前です。音程は高さでリズムは横・・何かうまく言えないですが、そこに秘密があるような気がします。

それは視覚で捉える時に、ただ、かんがえやすいだけなのかも。それ以外に音を視覚化して、わかりやすい方法はあるのか。そこの答えは全然でないとして、
その視覚を活用し、リズムを横の線と考えると、線が途切れる瞬間、つまり「間」が面白いのかと。
「間」は空間として存在しているもの。つまり、画面(二次元的)で線が途切れていても、それを間とはあまり認識しませんが、音が途切れて、流れると、それは間と認識します。言い換えれば、空間に存在したものが、消失し、また浮かび上がる。

これが何を意味するかというと、「あったものがなくなる、その変化が人を驚かせる」です。なんと、当たり前な結論に至ったことか!!!

 

考察しようと書きましたが、超当たり前の結論の連続に、「だから何?」と言う何かを指摘した瞬間に見せる、全てを説き伏せようとする妹の顔が思い浮かんできます。(冗談!)

 

しかしながら、こうやって特に結論の出ない、届かない考察を、続けた先に、新しい価値や新しいものが出来上がっていくのではと。また、芸術には支離滅裂、それをささえる明晰さ、が両方必要なのかなと。

 

届かない思考は作品を変化させていくはず。わからない、知らないを見つめ続ける。