日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「夏、この手紙を何度、読み返したことだろう」

手紙

 

いかがお過ごしでしょうか。
異常気象を迎えた今年の夏、その暑さに蝉すらも鳴かないのだそうです。
ただ、やはり夏は夏で、そよそよと涼しい風が吹けば、心持ちも軽くなりますね。私の町には提灯が飾り付けられて、より季節を感じさせてくれます。提灯の姿形のなんと可愛らしいこと。わが子を呼びかけた時のような、そんな暖かみがありますわ。

 

今日、クリーニング屋に行ってきました。そこには、小さなラジオカセットが置かれていて、音楽が流れてて店内はいつも陽気なの。預けていた洋服を持ち帰るだけなのに、ピカピカに生まれ変わっていると確信できるの。

  

うん、やっぱりひとつの区切りを迎えること、それが大切になってくるわね。

 

短くもいやに仰々しい手紙になりましたわ。もう・・そんな年かしら。
しばらくお顔をご拝見しておりませんが、風の噂ではお元気だと聞いております。

こちらもぼちぼちやっています。

えっちゃんにもよろしくね。

 

 

 

 


筆圧は薄いのに、妙に存在感のある字で手紙は届いた。いくつも散りばめられた、いつも気にかけてくれた。夏、この手紙を何度、読み返したことだろう。

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