小話 「へい、やつ吉」
へい、やつ吉
やつ吉は、しゃがれた声で言う。
「こんなけったいなところで、何してんねや」
私はいつの間にか道に迷い、癇癪を起こす暇も無く、点々と場を移動していた。
そこで、妙に大きな体のやつ吉と出逢った。彼は頭にねじり鉢巻をしていた。
汗が常に吹き出していて、口にタバコを加えたその姿は想像力が欠如しているように思えた。
袴のようなものを身に纏っていた。そこにある青の水玉模様は正確な丸を描かず、軽く滲んでいるようだ。それはやつ吉の空々しさを象徴しているようだった。
「今、炊き出ししてんのや。どや、うまそやろ」
噛み応えの良さそうな蒟蒻にぶつ切りの人参、大雑把に切られたネギを見る限り、こいつは美味そうだ。
暫く道に迷った私は、腹が減っていたことさえ忘れていた。
「炊きすぎは厳禁や」そう独りで呟く彼の汗は、ますます目に見える形となる。
「見る方が恥ずかしいのか、見ている方が恥ずかしいのか」グツグツと煮える出汁を眺めながら、私は考えていた。その間も雲はたなびき、幾多の方向に流れる。
無風と認識していた私は少し驚き声を漏らした。
「ここの天気は変わりやすいんですね」
自分の周辺の空間が間延びしているように思えた。
「せやせや、変わるものも変わらんものも、あるっちゅうわけや」
何かと早合点だからこそ、やつ吉の料理には好感が持てた。
その時、遠くからぼんやりと鐘の音が聞こえてきた。美しいものを逆再生したような音は、どこからか来て、また自然に帰るようだ。
「およ、熱々や」やつ吉は謎の感嘆詞とともに煮えた出汁を私に分け与えてくれた。
「ありがとうございます」自然と口から出た。
遠くでは薄っすらと光が揺れている。走る電車の窓から漏れるその優しい光は、渡り鳥が大空を移動するかのごとく、辺りを気遣い動く。
私はやつ吉が炊いた出汁をすすった。
夜は深くなり、一定の周波数を知る、虫たちが踊る。
活動や生活はそのものではなく、ふとした動作にあると私は知った。
いつかの田舎でみた風見鶏は少し古びていたが、情緒があった。品格があった。美しいものを比べるその癖は、やはり治らないようだ。
すでに、やつ吉は微笑んでいた。