独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

なにものにもなれない者は唯一その者になれる

考えすぎは独断を生む

 

その感覚の中でしか育まれていかないものもあるように思う。それは、ひとつ、自らが作り出した希望なるもの。乖離がいき過ぎると防衛本能として、自らを守ろうとする。もはや定型化されたその魔物を玄関先で追い出せる術さえも身に付けたのに。
こうなると周囲が見えなくなっているというのも、感情ではなく経験で知った。

感情に対しての主観からの客観は信じられない。経験則から、状態を見出す。

 

思考が巡るのも一つの才能、いつまでも青くさくて、幸福で良い身分なのかも・・。

ただ、世界は等しく平衡を保っているのに近い半径では目が回る。

 

身体の隅々にまで、綺麗な空気を、好きな音を入れて。意志が義務に変わってしまったと感じたなら、大きく深呼吸。目の前を一生懸命に耕しつつ、遠い先の未来を想像し人生を彩る。

 

なにものにもなれない者は唯一その者になれる。

そう考えれば、他者への羨望に自分ですらも含まれている。

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