独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「数学の世界」良書に出会いました。その時、

「数学の世界」良書に出会いました。その時、

 

物の形のみを考えて取り出す。

そして、単位を使い導き出した結果を要素に解体する。そして、組み直す。

いわゆる発想。成り立ちの細分化、その成り立ちに共通的なものを取り出したのが、円形や球体。(点や線も同じように)

 

机に扉にコップ。形がある。直線の部分がある限り、全てに置いて長さを測定できる。

この共通事項を編み出したのが数学と、この本に書いて有った。 それが数学と、さも当たり前のように知っているけど。抽象レベルまでに抽出したすごさよ。 

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これまでの数学の本、読んでみては、「積分?関数?」ちんぷんかんぷん状態でした。
この本は数学の概要をいい具合に説明してくれてて、良書です。
全体的な成り立ちのお話というか。聞かせてくれます。魅力満載。

 

○○の定理みたいなやつは、論理的思考において、組み立てられたひとつのフレームワーク・・、もはや、それは作品ではないのか!と思わせられます。

思考を絶えず続け、綺麗にすっぽりと論理の筋が通る、やっぱり作品のごとしです。

 

また、改めて、数学なるものも文章なるものも似ていて、共通していると。
考える上で演繹法的なものを駆使する。定義の厳密さに違いがあるぐらいなのかもしれない。言葉の定義はどこか曖昧だから、その人の持つ感覚の世界により、判断が変わる。

文章の曖昧な表現性、算術の普遍的な形式。美しさの観点は、様々なところに隠れているものね。聴覚、視覚、感覚。どの「覚」を揺さぶり、どう繋がりお目覚めするか。

後半に差し掛かると、すこぶるわかんなくなってきました。

しかし、この人がきちんと学んできて、適切な言葉を適切に書いてくれている、読書のことを考えつつ、というのが直感的に伝わる。幾何、代数、関数、解析、方程式、キーワードとなる言葉をきちんと捉えないとと思いつつ。

 

あと、印象に残っているのは「法則はすでに理論を内包しているから、荒くつかいなさんな」的なことが書かれていたように思う。つまり、前提の定義の確認!

前提というのは、仕事をするにおいても度々大事に。

前提が違ってくると、まるで、結論が変わってくる。

前提を無視すると・・あらら、水掛け論が永遠に鳴り響く。