芸術とは自分の思いを叫ぶのではなく、世界を提示すること
世界の提示
必要はなくとも、懐疑の会議がわたしの脳内でヒラカレル。
「魂を込めた曲を聞かせてやるぜ!!!」
「魂を込めるとは・・本気とは・・そもそもなんなのか!」
考えたいわけでも、考えたくないわけでもなく、疑問は勝手に浮かび上がる。
そのせいかお陰か、対象や行為に対して全然集中できていないことが多々ある。(無意識にシャンプーしてることとか、そ、それは)
そんなある日、「芸術とは自分の思いを叫ぶのではなく、世界を提示すること」という一文を目にした。
見る方の解釈の自由性をうたっていた。納得の嵐。
ほっ、それはあの黙示録かのごとく・・。
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老人A
「静かな空がどよめいとる、雷様の降臨じゃ!」
その一文は老人Aほどの衝撃、戦慄、鳥肌を与えた。十数年ぶりの旧友との邂逅ばりに。
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そもそも、世界観自体は想いというか、感性といいますか、そういうところから生まれるものではあると思いますが、それをひとつの世界にまで持っていけるかも非常に重要と考えたり。その人自体がひとつの世界感を持っていれば、もうそれは自然とそうなるものとも考えたり。
そんなことを考えるきっかけが、昨日の新宿にありました。
初めてお会いした時から、「ひとつの世界だなあ」と思う方のライブをご拝見させていただきました。
まぎれもなく素敵だった。
そして、世界を提示することについて、考えさせてくれるライブでした。
「創作に対するちょっとした隙は、すぐバレるのかもね」と自らを戒め、戒めできました。真価とは。