「餃子ヲススメ」 胃袋に求められし実家のぎょうざ。
餃子ヲススメ
今、胃袋に求められし「実家のぎょうざ」。
ほどよい近所には王将があり、さらに近所に餃子の満州が聳え立っている。餃子を食べたければ、何も惜しむことなく食べられる。満州の餃子は、月並みな表現だが外はパリッと中はモチっとしていて、美味しい。
餃子、ひき肉と細かく刻まれたネギ等を練り混ぜる。肉も野菜も渾然一体となり、ひとつの作品を創っている。
タレには醤油やラー油を入れない。
ある日、カメラマンのふっしーに酢と胡椒だけで酸味がある爽快なタレになると教えてもらった。1年くらい経つであろうが、未だにそれを実践している。
そのタレで食べると、暑い夏に屋上で行われるビアガーデンのごとく、涼味を感ずる。新しい価値の発見はビジネス思考を働かせなくても、こんなに近くにある。いつもそばに。ああ、生きるための思考力が餃子に収斂されていくみたい。その最中、求められているのは実家の餃子だ。
正統な餃子を目指しながらも完成したそれは、よほど水餃子に近く口の中でとろけるかのよう。微妙な皮のねばりが野菜の味を引き立て、口の中に風味を持ち込む。
世の中には無数の選択肢がある。明らかな事実。その中から一つを選び取り、行動する恐怖に誰もが煩悶とする。壮大な道のりに恐れおののくことも一度や二度ではないはず。
そんな時にふと食べたくなる実家の餃子、究極のメニューに入れようか、いや、至高のメニューに入れようか。
餃子ノススメ。
今日の一曲
70年代末から90年代に活躍したイギリスのロックバンド「Dire Straits」
当時のトレンドとは違ったオリジナリティがあったそうだけど、売れたそうな。
この曲、喋るように唄うスタイルがいいですね。
音を合わせにいったと思ったら、また、しゃべる。その絶妙な境目がメロディ(?)を飽きさせないのね。歌い切らない、という。反骨心みたいなんも感じられたり。
メロディを作っといて、ここ喋るゾーンみたいに取り入れたら、面白そうと思いながらです。