独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

人間らしさとは。 心の奥は混沌としているもの

混沌の魅力

 

人は仮面をかぶっていないと思い込んでいても被っている。理性という仮面をつけて、社会や規則に馴染む。そうしないと知恵は生まれず、技術などは発達しなかったはずなのではないか。

 

理性、それは当たり前のように毎日働いてくれる。逆に本能は無意識下におかれる。その状態が続くと奥底に眠る本能はそのままになるのかもしれない。
制御が未来を創ることもあるのだから、その状態が続くことは何も悪いことではないと。 

 

そんな話を、そんなことをふと考えるきっかけがあった。
ちょっとした会話。それはどの言葉よりも生々しく、心に居座る。染み付いた性質に一番リアリティを感じた。転じて、表面的な善を盲目に追いかけても、人の力になるような器にはならないと思う。吸いも甘いも、違う生き方を現実として、まざまざとみて、生きている話を聞いて、自分が知らなかったものを知ってこそ、大きくなれると。

 

アイデンティティが揺れやすい青年期は理性や仮面をやたらと嫌うものだ。しかしながら、あれだけ嫌だった仮面の使い方を無意識に熟知してくる。
気がつけば仮面をつけていることさえも気づかないまま、生活をしている。

本質は整備された美しいものではなく、幾らか寂寞を伴っている。一見、綺麗に見えても中身は混沌としている。ただ、それの方が現実的で人間らしくあり、魅力を感じる。

 

また、別の会話。

少し枯れた声で女は言う。
「何歳まで生きるかわかんない」

胸部に響いた声で男は言う。
「結構、長生きする人おるっすよ」
「うちの親父は早く死んだけど、弟も兄も生きているよ」

「何歳で亡くなったの」

 

目の前で繰り広げられるその会話は、とても前向きで人間らしかったように思う。

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