独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「ひからびた林檎」

ひからびた林檎

 

ひとつ屋根の下、ひからびた林檎はずっとそこにあるはずなのに、地面にぽとりと落ちた。その林檎の周囲に数匹の蟻がいる。林檎から一部分を切り取り生きる為の食を得る。「この状況を人間に置き換えるのは感傷的すぎる」と、自らに問うことへ、こそばさを覚える。 

 

ユーカリの中毒性にやられたコアラのように、何かに打ち込みたいと考えていた青年は星の数ほどいる。私は朽ち果てた夢に、意味を与える仕事に従事している。

希望とは意味をつける行為、および絶望とは意味をつける行為、それを知ってしまったためだ。

 

その行為たちに対し感覚だけが歯止めをかける。

いくらか歩を進めた先、すなわち、さきほどの林檎が見えなくなった時、意気揚々とはしゃぐ学生に出くわした。部活動の帰りである彼らは、磯野カツオばりの元気さを持ち合わせ、大きな声でお互いを罵り合い高める。

 

「こないだのさばき方、ありえへん。もっと前にでぇや」
「結果的にアウト取ったし、勝ったからよかってん」

 

お互いに口を尖らせ早口だ。彼らに私の仕事の必要性を見出せない。何かと偉そうに語っている私の営業成績は良くない。朽ち果てた夢は時が経過するにつれ、世間様への吹聴という価値を与えられる。


いくら歩けどたいして景色は変わらない。普段から通る公園、木目が丸出しとなった切り株に腰掛ける老人がいる。その顔はやけにリアリティを伴っている。生きることへの趣き、老獪に事を運ぶしたたかさを吸い尽くした顔だ。

 

「朽ち果てた夢など知らぬ存ぜぬ、道はすでに別れていたのだ」と言わんばかりの表情である。価値をつける仕事に従事した私が人の顔を見るのは、職業病だ。外見は内面の一番外なのだ。判断にはいくらか自信がある。生きてきた年齢を差し引いて、きっちりと見られるのだ。この目に狂いはない。
このまま続けていけば、成績も右肩上がり。


意志は風化し形を変えた。「私」は「朽ち果てた夢に価値を与える」仕事を辞めていた。いったい、私はどんな顔をしていたのだろうか。

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今日の一曲

パンクの女王ともいわれたPatti Smithさん、UAさんがカバーしてたので知りました。

惹きつける魅力、満載です\(^-^ )詩人でもあり、文学性の高いリリックで多くのフォロワーもいるそうな。

Patti Smith/Because The Night

www.youtube.com