独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「なぞらえる行為」によりだんだんと「完成」に近づく。

なぞらえる

 

思案に耽る午後17時、穏やかな陽気が体を火照らせる。

僕はある部屋で鈍く光る蛍光灯を見つめ、角の椅子に座る。側の観葉植物はどっしりとした印象を与え、微動だにせず鎮座しているように思える。いつの間にか陽射しは消え、闇が高揚し始める。季節の変わり目に挟まれた。

 

空想と現実、ドアノブに手を掛けた。その先には物語が待っている。足を運べば簡単に隣の部屋へと移動できるのだから。人は空間を跨ぎ、また、同じ空間へ戻る。幾多の話の上に成り立ち、諸生活を営むのだ。

初期衝動はやはり「なぞらえる行為」を継続させる。受けた衝撃と継続時間は比例し、いつか終息を迎えおさまりが良くなる。なぞらえようとも、結果的にはなぞらえぬ。ブルーハーツになりたければ、知らぬ道を歩く。縋り付く対象を持ち合わせていないなら、学問に喰らいつく。

  

学ぶの語源は真似ることに有り。根底を考えぬくこと、つまり、会話は不成立に陥る。そこからが始まりだ。どこの企業が開発した工程を見せるのだろうか。創造された世界、「完成」という言葉の意味を見直す時はすぐそこに。

 

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今日の一曲

演じずとも伝わる。似たような環境に生まれたわけではなくとも、

人のホンネは伝わる・・\(^-^ )

 

Rykey/ホンネ

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