独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

生活リズムの編集、従事する私

生活リズムの編集

 

「春眠暁を覚えず」、眠る前に唱えた一説は鳴り響くアラートにかき消された。久方ぶりの早朝の起床はお尻を鞭で叩かれたかのごとく、生活リズムを引き締めた。今日も着慣れたハルヤマのシャツに袖を通し、ネクタイを装着する。ハレの日でもない正装は気がつけば日常に溶け込んでいく。ただし、低気圧が停滞した春には、冬に着ていたカジュアルなセーターが必要だ。

 

枯渇した心を埋めるために必死に追いつこうとしたあの頃、それは笑って懐かしめるものでもない。無理強いて対比させれば、今は日々のアンバランスに踏ん切りをつけることに必死だ。「よそはよそ、ウチはウチ」子供の購買意欲を一刀両断する母のその言葉がふと浮かぶ。

  

定義がなければ社会は成り立ち得ない。その「定義」に疑問を持つとは、なんと気の強いことだろうか。「信じられるのは私だけ!」と強く主張している多感な女性のようだ。思考とは裏腹に、複数台のパソコンが並んだコンピュータルームに、責任のある案件に頭を抱える上司がいる。その横で言葉を待つ部下。

 

労働の意義もわからぬまま慣れていく身体にもはや嫌気もない。成長するとは落ち着くことか、はたまた受け入れることか。隣の席で労働に従事する彼は、お昼ご飯のカルボナーラをフォークに巻きつけている。今日も見つかるはずのない「定義」を探し、僕はあくせく働く。

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今日の一曲


レコード買って改めていいと思ったよ。duke ellington、風景に溶け込む感じが好きです。一説ではアルバム1000枚あるとかないとか。すごい。

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