日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

笹谷創ことDJ紙ヒコーキ、soundcloud始めました。

冒頭からCM

 

笹谷創ことDJ紙ヒコーキ、soundcloud始めました。創作したビート、ガシガシとアップしていきます。世界観を大切にした末長く付き合えるビート、作っていきます。「求む」という方がいらっしゃれば、ご連絡ください。 

 

soundcloud.com


本編

 

ミウラ折りとは、平行四辺形を四つ並べる折り方だそうです。潰れてしまっているのに「強度」が増しているそうです。「潰れているのに強度が増す」、そこにロマンを感じる。柔よく剛を制す、固いだけが強度ではない。上手いだけが表現ではない。なんとでも置き換えられますが、なんとも味のある概念。渋味を楽しむ大人の食事といいますか。

 

性格によって行動パターンというのはある程度、存在しそうです。「決まりきった」と言ってしまうと、悪いことのように思えますが、それは不確かな世界を彩る思考のひとつなのかもしれないですね。世の全ては「仮想」「仮定」と捉える。目に見えないものにさえ、名前と意味をつける。例、音波は目に見えない。(見える装置とかはありそう)

 

それでも、なんやらかんやらと意味付けられ活用されている。後付けの説明であろうとも、その底深さに人間の偉大さを感ずる。興味が湧くきっかけはやはり「歴史が紡がれている」という壮大さでございましょうか。


美化ばかりしても現実には犠牲や怨念、嬉々といった感情の上に立っていることでしょう。大きく見ると人間は次に繋げる生物なのか。子孫を残すというのは何を確かめている行為なのでしょうか。そういったものも「仮想」「仮定」から出発し、紐解こうとされるのだと思います。

 

と、考えると行動意欲は「未知」だからゆえに。計り知れないほどの「仮想」や「仮定」の側にいる。その規模感で捉えると目に見えることは、些細なものなのかもしれません。自由意志の元の行動意欲は、従うべき行為に準じている可能性だって捨てきれない。世を探検しに行こう。

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今日の一曲は、ブラジルのミュージシャン。耳なじみの良さ抜群。 

そして、4分手前に超絶フロウ。

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