私は奥さんじゃないわよ
私は奥さんじゃないわよ
少しの間、微睡んでいた。朝が来たのに気づいていたけれど、また少しばかり寝ていた。そのペースは人々が集う中心地からは乖離していくばかり。
疎外感を募らせた人々が中心を生み出す。ニヒリズムが小刻みに身体を震わせる。創作が前提で、前提が神話や寓話、地方に伝わる物語なのか。散りばめられた言葉にも順序を与える。言い切ることによる権威主義やカリスマ性に気がつけば惹かれている。誰だって少しはそうだろう。
欲求深き心を理性が支配しなければ、とんでもないクソ野郎と。意味を持たそうとするから、理解不能なのか。意味を持たそうとしないから、理解不能なのか。意味を持たすとは、付加価値、レバレッジ、価値の転換、口だけ達者、設定、仮面、目的、などなど。溢れてくるのは強制的に意味という単位で紐づけられた類似的な単語。
「今更、内向的など流行りますか、奥さん」
「私は奥さんじゃないわよ」
今日 音楽
謎の文章を書かせたら天下一。回り回って無言と同じのお馴染みの男1人です。直球的に意味不明でなく、曲解ぐらいで収められる文章も記したいもの。そういえば、太宰治さんの20世紀なんとかもなかなかの抽象度爆発、ツワモノでした。
さて、今日の1曲。
マンドゥ・ディアオさんはスウェーデンの人たちで全員がビートルズが好きそうな。
歪みがちょうどロックって感じ。こういうのをいわゆるガレージ・ロックというのかな。
まさに王道でありつつ、普通に洒落ている。私見によると北欧のミュージシャンカッコいい確率、異常。私の心にはエレキの音、避ける節がありがちですが、目敏さがなく、心地いい。
「ああー、王道でありながら、そのセンスよ」、よき音楽をありがとうございます。