独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

思い込みかどうかは知らないが、頭に描いたことはできる。

選択したものと真っ向から

 

家の袋にチョコレートがふたつ入っていた。すかさずひとつ食べた。ひとつ減ったぞ。ああ、ハッピーバレンタイン(˙⌓˙)つ親族からいただいたもっちりチョコ美味しい。

若かりし頃より、相対的に生きる時間が伸びているためか、1日が足早に去っていく。鍛錬の日々も未来への種まきと導かれるように行う。未来は近づいてくるが、また離れていく。潤いと乾きの感情がいつも渦巻いている。周囲に恵まれ健康に過ごし生活を送れている潤い。その一方でこんなものではないはずという乾き。その天秤はだんだんと強固になってくれているはず。

大きな変化が起こるときはなぜか「今、今、絶対、今!!」という直感が降りてくる。
最近、その直感は降りてこない。それは残念なのではなく、地に足をつけて懸命に漕ぎ続けるばかりだと。選択したもの以外は、選択の外。ならば選択したものと真っ向から対峙する。自分の場合、選択したものはひとつではない。過去に「ひとつに絞った方がいい」というアドバイスを色々と頂いたこともあった。それは「確かに」と頷く内容で「私もそう思う」と、有難い。 

しかし、絞らない。思い込みかどうかは知らないが、頭に描いたことはできる。やりきらないと、乾きはどう足掻いても満たされない。明晰な分析は技術だ。道を切り開くのは意志の力。没頭が人生を彩り創る。今日も今日とて音楽を聴くのだ。

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