独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

数学とは何なんのだろうか。不思議

数学的感覚

 

足し算、掛け算、引き算、割り算。小学生で習うけど、不思議で仕方がないよ。掛けるってなに?2つを3回繰り返すだと。常に実生活の応用となるのか、当たり前のように数を駆使した生活をしているけど、共通性をもたせるために抽象的な概念をまとめたものなのか。しかし、文明の発展に欠かせない匂いがすごいする。マイナスの概念、どないなってんねん!と奮闘してしまう。そして、知恵とお金は周囲を助けることになる、と信じている。

 

数学の新しい概念はドンドンと生まれていっているのか。それだけ視点が増えるのか。人間味がないとあまり惹かれはしないのかもだけど、視点の数はある種、芸術性の高さと比例するように思う。何かやりたかったらyoutubeとかで手軽に方法を知れる。そんな中でも、純度はより高めていきたい。

 

ジャンルによりけりだけど、作品は数学的感覚があった方が良いように思う。それを全面に押し出すかは好みだけど、「できるのにあえて選択しない」と「それしかできない」では深みが変わってくる。「理論 破綻 矛盾 ずれ」に気付くとは言い換えれば洞察力に長けているとなり、あえて選択しないに進めるのではないだろうか、と考えたり。

 

なんだか細かくなってしまいましたが、数学の沼にハマりがち(˙⌓˙)されど、ハマってもハマっても人間の機微を忘れないヒトでいたい。客観的事実は時に人を殺める、得たものの使い方にヒトは現れる。 あの人のことを考える瞬間に、自分の中の決意は固まる。さあ、模様、幾何学が入り込んだ空間と共存だ。

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